玉陵(たまうどぅん)は、琉球王国、第二尚氏第3代尚真王(在位1477年 - 1526年)が父、尚円王の遺骨を改葬するために1501年に築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓となりました。
全体が琉球石灰岩の高い石垣によって囲まれていて、内部は内郭と外格に分かれていてます。陵墓内全域に敷き詰められている珊瑚砂利は、沖縄のてぃだの光を受けて白く輝き荘厳な空気に包まれています。
内郭の建物は東室、中室、西室の3つの建築物に分かれていて、墓室内部は自然の岩壁をくり貫いて造られています。
3つの建物の役割は、向かって左側の東室には琉球国王と王妃、向かって右側の西室には国王夫妻以外の家族の遺骨を安置、真ん中の中室は洗骨までの間棺を安置するために使われていたと伝えられています。
※洗骨?:葬儀の後、遺骸が骨になるまで放置し、数年後に骨を取り出して海水やお酒などで洗い清めて骨壷に納めて改めてお墓に安置するという沖縄では戦前までは広く行われていた儀式です。
沖縄の文化財全般に当てはまるのですが、この玉陵も第二次世界大戦で大きな被害を受けています。特に日本軍総司令部に近かったため集中砲撃の巻き添えにあって東室、西室が破壊 されました。
現在見学できる玉陵の大部分は1974年から3年余りかけて行われた修復工事で復元されたものです。
2000年に首里城跡などとともに「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された他、全体が国の史跡、玉陵墓室石牆が国の重要文化財(建造物)、石彫獅子と玉陵碑が県の有形文化財(彫刻)に指定されています。
埋葬されている人は?
前庭左側に建つ玉陵碑(タマウドゥンひ)には陵墓にまつわる当時の事情が伝えられています。
碑文によると玉陵に入ることのできる資格を有する人は、
・尚真王(玉陵を築いた本人)
・おぎやか (尚円王の妃、尚真王の母)
・聞得大君 音智殿茂金 (尚真王の妹)
・佐司笠按司 真鍋樽 (尚真王の長女)
・尚清王 (尚真王の世子)
・尚韶威 今帰仁王子朝典 (尚真王の三男)
・尚龍徳 越来王子朝福 (尚真王の四男)
・尚享仁 金武王子 (尚真王の六男)
・尚源道 豊見城王子 (尚真王の七男)
の9人とされていますが、尚真王亡き後は厳密に守られてはおらず、基本的には歴代王と王妃が葬られています。
1879年の琉球処分後、琉球王家の一族は明治政府に命じられて東京に移住しましたが、その後も琉球王国のラストエンペラーである19代尚泰王と尚家20代当主尚典は玉陵に葬られています。
最後に葬られたのは1931年(昭和6年)で、尚家20代当主尚典の夫人です。
御番所(うばんじゅ)御番所(あがりのうばんじゅ)は、玉陵門外の左右に建っていました。
東の御番所(あがりのうばんじゅ)、西の御番所(いりのうばんじゅ)があり、法事の際に近親の親族や僧侶の控所として使用されていたようです。
西の御番所は主に女性方の控所として、東の御番所は国王の控所として使用されました。
戦前まで西の御番所には格式のある家柄から選ばれた御番役や御掃除人が住み込んで日常の管理が行われ、東の御番所は国王の葬儀に使用する道具類を保管する倉庫として使用されていました。
西の御番所には戦前まで暮らしていた人がいたため、当時の記憶を元に部屋割が描かれています。
2000年に発掘調査が行われ、西の御番所の遺構は発見されませんでしたが、東の御番所は柱を支えた礎石や建物の周囲にめぐらされた石敷きなどの遺構が発見されました。
東の御番所の遺構は、西の御番所の部屋割図を反転させると、ほぼ柱の位置が一致する事がわかりました。
発掘成果や写真などを元に現在では建物が復元されています。
沖縄県那覇市金城町1-3
【観覧時間】9:00〜18:00
(入場締め切り 17:30)
【観覧料金】大人:300円
小人(中学生以下):150円
【問い合わせ先】玉陵管理事務所
【アクセス】■ ゆいレール
首里駅下車。 徒歩約15分
※首里駅から路線バス (首里城下町線8番)あり
■ バス
首里城公園入口バス停にて下車。徒歩約1分
【地図】